2018年スタート

新年あけましておめでとうございます。

年末から1人海外にいます。

ちょうど有名なベンチャーの創業者が一人旅をされるというニュースが。

「最近、自分の発想が豊かでなくなった。」

「人間死ぬときは死ぬ」

大きな会社なのに、いろんな意味ですごいなと。

もっとリスク取っていかなきゃ。
 

知らない場所で知らない言葉で知らない人という環境は刺激的です。

誰も助けてはくれないし、心を読み取ってももらえない。

だけど文字通り立ち止まってるわけにいかない。

自分で考えて、できるだけのことをするしかない。

この数日でも失敗続き。

そりゃ、何も予習しないで動くとこういうものです。

挑戦すると失敗する。失敗すると考える。考えながら展開し、応用する。

そうやって成長してきた気がします。

やっぱまず一歩を踏み出さないと。挑戦が足りてなさすぎる。
 

レールに乗っかるような人生は嫌だなと。改めて思う。

いつのまにか、なぜか自分でレールを作っているような。その上を歩いてる。

こんなはずじゃないのに。という自己嫌悪。

犯人は自分なのに。

せっかくのいくつかの挑戦が、未来の安定のためだったとは思いたくない。

 

四十而不惑
 

いろいろなモヤモヤも晴れてきました。いい年になりそうです。

自分らしく、クレイジーに、今年も頑張ります。

2017年の終わりに。

2017年がもうすぐ終わります。

会社は足元の業績はそこそこ順調です。

期初の第一四半期のレポートも全事業部が達成!12月単月も全事業部達成!

忘年会には参加できませんでしたが、メンバーに感謝です。

もちろんお取引頂いているクライアントおよびパートナーの皆さまにも。

ただ、個人的には本当にダメすぎでした。過去一番ダメかな。

会社が大きくなることを言い訳にしてた気がします。

言いたいこともうまくいえないし。

とにかく、腹は決まっているので、復活します。

社交性も常識も品格もないけど、度胸と冒険心とやりきる力だけはあるはず。

よいお年を!(自分にも)

#wework47

挑戦しよう。

株主総会をへて、2018年1月に大きな組織変更を行います。

新会社を設立するためそのホームページとグループ採用ページを作成中。

採用ページのために、これまでの沿革をおさらいをしてました。

本当にいろいろやりました。

15年間、無謀な挑戦の繰り返し。

無許可でサイト作ったり、自分で作った会社から独立したり。

大赤字の事業作ったり、メインサイトを突然廃止して、作り替えに失敗したり。

新卒ばかりを採用しても即戦力にはならない。春先は毎年資金繰りに悩む。

会社がどん底になるようなことも何度も経験しました。

とつぜん沖縄に移住したり札幌行ったり戻ったり。

挑戦と言えば聞こえはいいけど、顰蹙も買うし、無責任とも何度も言われた。

それでも、不思議と後悔はなかった。自己満足かも知れないけれど。

信念を貫き通した自信はある。

短期的なお金や名誉のために判断したことは一度もない。

ゼロからはじめた会社。守るものなんて何もなかった。
 

ところが、振り返りながら気づく。会社が大きくなるにつれて守るものも増えてきた。

社員のその家族の生活。忌み嫌っていた安定が頭をよぎる。

すると、ぼくの価値観ではない行動が増えていく。

秀逸なビジネスモデルが生む利益が本質を見失うこともいとわない。

いつのまにやら違和感を無視しながら生きていたのも正直なところ。

沖縄に移動して、改めてゼロを始めたのももしかしたら逃げだったのかも。
  

その後、札幌を経て東京に戻り、ちらかった価値観を整えようと頑張りました。

いったんの成果は出ました。10月も11月もグループ目標達成。

12月も目標達成は確実です。結果、四半期目標も達成見込。
 

いろいろあったけど、挑戦に後悔はない。

今回の採用ページのテーマは「挑戦しよう。」にしました。

これがいまの形としては最後のプロジェクトになると思います。
 

ぼくも来年新たにとても大きな挑戦をすることに決めました。

顰蹙も買うだろうし、無責任とも言われるだろうけど。

一度きりの人生に妥協はできない。

挑戦とは、困難な物事や新しい記録などに立ち向かうこと。らしいです。

一度決めたら後ろを向かずやり抜くことだけでここまで生きてきました。
 

挑戦しよう。

15周年。

2002年11月11日に会社を設立しました。26歳。

会社と言っても、当時借りていた世田谷の1ルームマンションで登記しただけ。

有限会社東京オフィスという大きいような小さいような不思議な名前の資本金300万円の会社。

テーマは「インターネット×不動産」

ただ、いきなり宅建試験に落ちたので、不動産業ができないというスタート。

不動産会社の中を間借りして、ブローカーみたいなことからはじめました。

いただいた手数料の半分を有限会社東京オフィスに入金してもらう。

会社というか、口座みたいな存在でした。

会社名を名乗ることもないし、名刺もなかった。

飲み会などで、「おい!東京オフィス。」とからかわれるくらい。

1年くらい1人で、小さなオフィス借りてアルバイト採用して。
 
それからゆっくりゆっくり少しずつ仲間が増えて、少しずつ会社っぽくなっていきました。

ぼくもゆっくりゆっくり少しずつ社長っぽくなっていったような。
 

この間、決して順調とは言えない道のりでした。

リーマンショックもあったし、東日本大震災もありました。

サービスもいろいろ作ったし、閉じました。

出会いと別れもたくさん経験しました。まさに泣き笑いの15年。
 

26歳の若手起業家?も41歳。

オフィスも少しずつ大きくなりましたが、仲間も増えました。

現在、グループで従業員は87名。昨年は資金調達も行いました。

責任も大きくなった分、見れる夢も大きくなりました。

2017年9月期。通算15回目の決算で年商が10億円を突破しました。

 

26歳の時、15年も会社経営してたら、すごい人になってるはずと思ってました。

経営能力も高くて、少しはお金持ちにもなっているかもなと。

残念ながら、そんなもんではないみたいです。

10人のときも、30人のときも、50人のときも、87人のいまも。その規模の経営は素人。

ずっとドキドキしながら、おごることもなく、うかれることもなく。

くやしくもあり、情けなくもあり。時々ワクワクするけど。

口では強気でも心は常に弱気だったような。その分、だれよりも努力を重ねてきました。

ぼくも、会社も。

 

15年目の今日は板橋倉庫で産業廃棄物免許の申請のための区画整理中。

15年前の世田谷の1ルームとたいして変わり映えのしない今日に苦笑いしつつ。

誰もほめてもお祝いしてもくれませんが、この日を迎えられたことはうれしいです。

あのころの描いていた未来からくらべたらちっぽけな現在ですけど、幸せです。
 
泣き笑いの15年はとても充実していました。
  

多くの関係者の皆様、何もなかった会社をここまで本当にありがとうございました。

おかげ様で15周年を迎えることができました。

あり続ける限り、全力で頑張ります。

これからもよろしくお願いします。

2回目の上京

昨日、札幌の部屋を解約し、荷物を東京に送り、本日東京に戻りました。

1人で立ち上げた拠点。昨日で最終日。

離れることの寂しさよりも成し遂げられなかったことの悔しさしかなかった。

自分の想定通りに行かなかったために、ルールも変えざるを得なかった。

遅番シフトを廃止することになったので、9月末で終了になる人たちもいます。

事業を作り育て、雇用を守り、いい会社、いい環境を地方につくるという挑戦。

生半可なことではないという当然のことを改めて実感しています。

中途半端に投げ出してしまうことにも情けなさしかないです。

もう一回東京に戻って、力をつけます。力不足です。まだまだ名前負けだ。

いつか堂々と札幌オフィスに笑顔で会いにいけるように。もちろん沖縄にも。

そう思いながら、始発の飛行機で東京に戻りました。

2015年4月に沖縄に引越して、2016年11月からは札幌。久しぶりの東京です。

2回目の上京は、ワクワクもドキドキもしないけど、結果にこだわって頑張ります。